Re: 介護保険部会においてE 要介護認定について ( No.1 ) |
- 日時: 2010/08/12 17:58
- 名前: アゼリヤ会 相羽 (意見@)
- 池田省三教授が次のような意見を述べている。(以下、【 】で括った部分は、池田教授の意見/それに対する私の考えを≪ ≫で括る)
【最近、介護保険の要介護認定制度について、その廃止や簡略化を求める論議が見られ、介護保険部会でも山部の委員が主張されているようである。しかし、認定の廃止は介護保険制度を崩壊させ、簡略化も利用者に多大な支障を与えるものである。 認定の廃止・簡略化は、介護給付費にも重大な影響を与えることから、当分科全委員として、以下に意見を述べる。 これまで、介護保険が円滑に運営できたのは、公正なサービス配分が行われてきたことによっている。かつての「社会福祉の措置」の時代は、受給者、サービスの種類と量、負担額までもが、市町村の裁量によって決定されていた。 しかし、介護保険施行以降は、「どれだけの介護の手間がかかるか」を科学的に判定し、それによってサービス利用を保障することとなった。だからこそ、介護保険は国民から納得され、支持されてきた。】
この点について下記に意見を述べる。 ≪「公正なサービス配分が行われてきた」と言うが、「公正」とはいかなる意味か。私どもサービス事業者からみると決して「公正な配分」とは言いがたい事例に数多く遭遇してきた。元来、必要な人に必要なサービスを提供されることが「公正」と考えるが、お金がないために必要なケアを受けられない事例は枚挙に暇がない。たとえば、平成21年度から要介護認定の尺度が変更され、これまで要介護度1あるいは2であった人が要支援2に変更されたため、これまでのサービスを受けられず、生活に多大の支障をきたしている例が散見される。これはそもそも介護保険制度の施行が「必要な人への必要なサービスの提供」よりも「社会保障費の削減」を優先させているからである。 「どれだけの介護の手間がかかるかを科学的に判定」と述べているが、どこまで科学的といえるか疑問である。「科学的」といえばきわめて議論の余地のないもののように聞こえるが、これは言葉の「遊び」であって、ごまかしといってもよい。少し考えてみれば誰でもわかることだが、その人にどの程度の介護の手間がかかるかを、数十項目程度の簡単な質問への回答と短時間の診断と観察からの意見書のみで、客観的に数字化することなどできるわけがない。なぜなら、必要な介護の手間を知るには、その人の生活全般(生きがい、生活習慣、住居の構造、家族の構成と性癖など)を知ることが必須であるからである。>
【社会保険は保険事故を明確に定義して、これに該当する場合、給付を行う仕組みであり、要介護認定は保険事故の定義に当たる。したがって、その廃止・簡略化は介護保険制度を根底から覆す。】
≪要介護の問題を「保険事故」と捉えているが、火災保険や自動車保険のアナロジーよりも、健康保険の方に近いのではないか。病気になったとき医者にいくが、そこでどのような処置を受けるかはその医者の判断に任されるのであって、「認定制度」により「明確に定義」されるわけではない。それは必要な医療は家や車の被害の査定のように単純なものではないからであり、同じことが必要な介護ケアの問題にも当てはまるからである。≫
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Re: 介護保険部会においてE 要介護認定について ( No.2 ) |
- 日時: 2010/08/12 18:00
- 名前: アゼリヤ会 相羽 (意見A)
- (【 】で括った部分は、池田教授の意見/それに対する私の考えを≪ ≫で括る)
【また、介護保険施行直後の調査では、認定システムは国民の4分の3の支持を受けており(資料1)、現在も、認定廃止を主張する者が代表する組織でさえ、認定廃止を求める会員は少ない(資料2)。現行の認定は国民に信頼されているのである。】
≪「認定システムは国民の4分の3の支持を受けており」というが、これも大いに問題がある。社会福祉制度の良し悪しは多数決で決めることは問題であること、すなわち、多数の暴力になりかねないことを指摘しておきたい。低所得で家族にも恵まれず生活に支障をきたしている人を助けることこそ社会福祉制度の眼目でなければならないが、この視点を多数の者が共有しているか疑問だからである。我々事業者の目で介護保険制度10年を振り返ってみると、この制度が便利でよいものだと感じているのはある程度所得のある人たちであって、ほんとうに困っている人は取り残されている場合が少なくない。 したがって、この調査結果から「現行の認定は国民に信頼されている」とするのは詭弁である。社会的に弱い立場の人たちがどのような状況に陥っているかについて正しい情報を国民に提供すれば、このような結果にはならないはずである。≫
【認定が要支援1〜要介護5までの7ランクに区分されていることに対して、3段階程度に整理すべきとの意見も見られる。たしかに、独、仏、韓等では3〜4の区分となっている。しかし、これらの国は日本の要支援、要介護1等は給付対象としておらず、ほぼ日本の要介護3〜5に該当する者を対象としている。つまり、日本の要介護区分とほとんど変わらないものなのである。要支援のような介護以前の虚弱高齢者、要介護1のような軽度要介護高齢者にサービスを保障しているのは、北欧を除いて日本ぐらいであるということをもっと考えるべきであろう。 現行の7区分を3段階にすると、利用者に大きな不利益を与える。要介護度が改善され た場合、利用サービスの大幅な減少につながり、継続的なサービス利用が阻まれることとなる。のみならず、給付水準を一部引き下げる恐れも強い。 要介護度を松竹梅の3段階にし、ケアマネジャーを中心に認定をまかせ、それぞれ20万、30万、40万円まで使えるようにせよ、という恐るべき主張もみられる。ただでさえ、多忙なケアマネジャーに認定の社会的責任を負わせ、それで公正な認定が担保されるのだ ろうか。本人・家族らの強い要求に対して、何の権限も持たないケアマネジャーに説得の義務を持たせることができるのだろうか。際限のないサービス要求を認めれば、介護保険財政の破綻は必至である。】
≪私たちは段階数を減らせと主張しているわけではない。医療保険の医師と同様にケアマネジャーにしかるべき権限を持たせ、ケアマネジャーの判断で必要な介護ケアの質と量を決めるべきであると主張している。誤解してほしくないのは、ケアマネジャーに要介護度を決めさせるのではない。要介護度という概念そのものを廃止するべきだと主張しているのである。 「何の権限も持たないケアマネジャー」と言っているが、それだけの権限を与える必要があるのだから、当然ケアマネジャーは現制度のままではいけない。 「際限のないサービス要求を認めれば、介護保険財政の破綻は必至」と言うが、これはケアマネジャーの質の問題である。ケアマネジャーの養成をきちっとすれば、現行でも平均すれば支給限度額の4割ほどしか使われていないのであるから、「破綻は必至」というのは根拠が乏しい。≫
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Re: 介護保険部会においてE 要介護認定について ( No.3 ) |
- 日時: 2010/08/12 18:01
- 名前: アゼリヤ会 相羽 (意見B)
- (【 】で括った部分は、池田教授の意見/それに対する私の考えを≪ ≫で括る)
【認定によってサービス利用が制限されているという指摘もある。しかし、これは全く現実を見ていない論議である。要介護度別に見た在宅サービスの平均利用額は、いずれも支給限度額の半分程度であり、かりに1ランク低く認定されたとしても、利用に支障のないケースが大部分を占めている。利用額の分布を見ても、支給限度額前後まで利用している受給者はきわめて少ない。(資料5)もちろん、このような利用状況が望ましいものであるかは、論議のあるところである。しかし、認定システムがサービス利用を制限しているというのは、全く根拠のない主張であることは自明である。】
≪「認定によってサービス利用が制限されているという指摘もある。しかし、これは全く現実を見ていない論議である」と言っているが、これも詭弁である。意見書はサービス利用が制限されていないことの根拠として「在宅サービスの平均利用額は、いずれも支給限度額の半分程度」であることを指摘しているが、これはミクロの問題をマクロの統計の問題にすり替えていて論理的におかしい。すなわち、要介護認定により要介護度を下げられたためにこれまで使っていたサービスを受けられず生活に支障をきたしている人は決して少なくないからだ。これにはたくさんの実例を挙げることができる。この種の問題はミクロに見なければならない。 「認定システムがサービス利用を制限しているというのは、全く根拠のない主張であることは自明である」と大見得を切っているが、池田氏自身が「現実を見ていない」と非難されても仕方がないであろう。≫
【認定システムは、国際的に高い評価を得ており、科学的かつ中立・普遍的な制度とされている(資料6)。また、介護サービス保障にあたって、いずれの国も認定ないし基準を策定している(資料7) 要介護認定2009年版の実施における厚生労働省の失態(「介護を必要としない=自立」等の記述、批判への迎合的な「経過措置」の実施等)により、認定システムに不信感が拡がった。政権交代により、これまでの行政の在り方を検証抜きで否定するという風潮とも重なり合って、このような論議が登場していることは、深刻に憂慮すべき事態である。 認定廃止・簡略化は、社会的公正さを欠き、財源の見通しも考えない無責任な論議である。介護保険の崩壊に繋がる自殺行為として、明確に否定されなければならないものと考える。】
≪「要介護認定2009年版の実施における厚生労働省の失態」を取り上げているが、このときの最も大きな問題は「厚生労働省の失態」ではなく、新しい要介護認定により要介護度を下げられた人が必要なケアを受けられなくなったことであり、このことにより「認定システムに不信感が広がった」ことである。この主張は明らかに問題のすり替えである。 「認定廃止・簡略化は、社会的公正さを欠き、財源の見通しも考えない無責任な論議」と言い切っているが、これまで示したようにその根拠は乏しいものである。また、「介護保険の崩壊に繋がる自殺行為として、明確に否定されなければならない。」と強く主張しているが、要介護認定制度の廃止がなぜ「介護保険制度の崩壊に繋がる自殺行為」であるかは大いに疑問である。≫
以上
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Re: 介護保険部会においてE 要介護認定について ( No.4 ) |
- 日時: 2010/09/09 11:23
- 名前: こばと会 正森克也
- 2009年4月2日、日本共産党の小池晃議員が厚労省内部文書の中で、介護保険の要介護認定方式の改革などで給付費を284億1384万円削減できると明記されていること。また、別の同省文書では、要支援2と要介護1の認定割合を現在のおよそ5:5から7:3へ軽度の人を増やす方針が明記されていること。さらに東京都北区では介護保険課長が、同省から要支援2と要介護1の割合を7:3にするよう指導を受けたと、公の席で述べていることなどを明らかにして追及しました。
そもそも要介護認定という作業は、介護給付の上限を決めるための作業です。要支援2と要介護1の割合を7:3にするという誘導は、一人ひとりの状態を適正に評価して導きだすというよりは、財政的課題として仕訳されるようプログラムされたものです。要介護認定のコンピューターロジックを少しいじるだけで、日本の要介護高齢者の人数や割合を簡単にコントロールすることができる恐ろしい制度であることが、浮き彫りになりました。 高齢者一人ひとりの人権を守るべき福祉が、国家権力によって脅かされないように、介護支援専門員などの専門家が裁量権をもって、介護の質や量について管理するシステムこそ必要だと思います。
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